アルバム :https://photos.google.com/album/AF1QipOK1U41RK9Qn8F-X5rfxmffNfuXOd8LWGigghJY
甲府幕岩フリーの際にお盆の予定が立っていなかった関西人二人が、どちらも未だ行った事がない前穂東壁に行きますか!?となり、計画を立案。2日目に前穂本峰に突き上げる北壁、3日目に4峰正面壁の松高ルート、最終日に屏風フリークライミングを登攀する予定とした。
8/12(月)沢渡(7時半)→上高地(8時半)→徳沢(ビール休憩)→新村橋(11時)→松高ルンゼ詰める・・・(12時)→奥又白池(15時)
アプローチは尾根道の中畠新道なのに山と高原地図の赤点線すぐ下に松高ルンゼの文字が書かれている事で「ルンゼを詰めるんやな」とアホな関西人Bが勘違いしてルンゼを詰めだす。
「流石にこんなに悪くないやろ?」ともう一名の関西人Aが気付き、尾根に向かって沢登りの最後の詰めのようなやぶ漕ぎ!→出だしでバテル。
「13時には池着いちゃうねー」と言っていたのは遠い昔、15時に奥又白池着。池の西側1分ほど歩いたところの水場は涸れていなかった。正面に4峰を望みながら宴会、初めて来たけど最高の立地。
前穂東壁4峰、関西人Aは「めっちゃ立ってへん?やばない?」を連呼していました。
8/13(火)奥又白池(4時半)→A沢(5時20分)→北壁取付き、1P目(8時半)→北壁登攀終了(11時半)→A沢(13時)→奥又白池(15時)
池から各岩場まで1~1.5時間とあったが。。
北壁からの下降が迷うと予想し、早めの4時半出発。関西人A出発後即きじを見つけた模様。
池から20分ほど尾根を登ったところにある遭難碑、小さいので視界悪いと見落としそう。
遭難碑から50mほど登ったところにあるケルンを右に入ってA沢に向かい真横にトラバース。C沢&4峰と関西人A
C沢を詰めた後、B沢を詰める。このB沢の詰めが落石地獄で非常に気を使った。
B沢を上部まで詰めると左上方に北壁が見えてくる。ウーーン、もろそう。。
1P目(Ⅱ)岩溝、関西人A、落石地獄。
2P目(Ⅳ+)、関西人B、電子レンジサイズのがばホールドが剥がれて膝で受け止める,痛い。
3P目(Ⅲ)、関西人A、凹状~チムニー
4P目(Ⅲ+)、B、フェースから凹状を左上
北壁登攀終了(11時半)、1.2P目は落石酷かった。
この写真中央の奥又白池につながる尾根上の真ん中のコル(トポでは踏替点)を右にいき一旦カレ沢に出て、またこの尾根に戻って池に15時帰着。
松高ルートの本当の取付きは右上に見えるT1への途中から写真中央の左上するルンゼをいくらしいのだが、取付きがとてもⅡ級ではないとのことで、取付きを変更。
1P目、Aリード、小尾根右に右上するルンゼの取付きにハーケン複数枚あり、これを取りつきとする事とした。
2,3P目(いずれもⅢ)、バンドを右上。Bリード、ここで右上しすぎて、核心ピッチの取付きの随分と右にでてしまう。が、とりあえずハーケンはあったので、そこでビレイする事にした。
4P目(5.9)の核心点前、ハング帯凹状を直上、残置スリングあるがフリー。Aリード、本来この左下が取付きだが、間違えたのでこの右からトラバースしており、これがなかなか痺れたとのこと。
5P目(5.9)、垂壁からカンテ、出だしボルダーT1チックに登る。Bリード。
6P目(Ⅳ)草付きまじりのスラブを左上し松高ルート登攀終了。
このあとの下降でもBがルーフィをミスりを時間を要した。5,6のコルから5峰の尾根に行く道が判然とせず、手前のガレ沢を下降しすぎるがそれでもトポには書かれていないルートがあり(丸印等沢山)、奥又白谷、A沢をトラバースして池のテントを撤収し翌日の屏風登攀にかけて徳沢にて生ビール幕営。
8/15(木)奥又白池(5時)→上高地(7時半)→各自帰着。
朝1時半に起床して屏風を行くこととしていたが2時ごろに雨が降っており、予報も午前までもたないように悪化していたので、登攀断念してひと眠りして下山。
今回二人とも初めての前穂東壁でしたがやはり所見のアプローチ、下降は難しく想定よりはるかに時間を要してしまうことを痛感した。これも加味してプランを立てないといけないと思った。B沢の詰め、北壁の前半は落石すごかったが、それ以外ルート自体は快適でした!
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